2012年7月23日月曜日

更新 牧師のひとり言 NO9

初老牧師:友川栄

You are   OK!
               

多くの教会では、古くから伝えられている「使徒信条」を大切にしています。この信仰告白はキリスト教信仰を的確に捉えているといえましょう。この信仰告白の結びは「永遠の命を信ず。アーメン」です。「永遠の命に生きる」ではなく「永遠の命を信ず」に注目したい。「永遠の命」と聞くとき、どのようなイメージを抱くでしょうか。永遠に生き続けること?。
聖書が説く「永遠の命」とはそういうことではありません。「永遠の命」という表現を多く用いるのはヨハネによる福音書ですが、ある方はマタイ・マルコ・ルカによる福音書の「神の国」「天の国」と同義と説いています。「永遠の命」とは、死を経験しないということではない。天地を創造し生死も支配する神が今も生きておられるということでしょう。

 私たちはいつか年を重ね死ぬ。誰一人この厳粛な死を避けることはできません。遅いか早いかですよ。時は誰も分かりません。死ほど公平に臨むものはありません。しかし、クリスチャンは死を恐れません(勿論、痛みや悲しみに苦悶しますが!)。なぜなら生死を支配する神が生きていると信じているからです。十字架刑で死を味わい、神によって復活された神の独り子イエス・キリストが聖霊を通して今も生きている。私たちが死んでも、神から新しい命を与えられる、そう信じている。

 以前「某いのちの電話」で10年近くボランティアをしました。ボランティアは、余裕のある方々が行き、自由に休めると思うでしょうが「某いのちの電話」は全く違いましたね。結構厳しい。深刻な相談もありました。相談員になるためには数百時間を超える過酷な体験学習もしなければなりません。言葉の背後に潜んでいる「気持ち」を聴く訓練ですよ。「気持ち?」そんなこと簡単と思うでしょう?、これが難しい!。私たちは言葉で意志の疎通をはかりますが、「感情」「表情」「言葉の抑揚」を含めて対話をしているのですね。「今、ここで」どう感じているかを感じ取るかが必要不可欠。これが不可能に近い。心身「へと、へと」になる。

「助けてやろう」という気負いがある人、自分の経験を得々と「お説教?」する人は止めていきましたね。「辛い」「悲しい」という方々に寄り添うには、自分も共振せざるをえない。子育ても、同じではありませんか?。子どもの心に真正面から関る親の姿勢を感じて、立ち直る道が開けることも。それも、子どもによって違う。感情は刻々と変化する。親も子どもと共に揺れる。また、それが許される。完璧な親などありえないのですから。マニュアルは参考になりますが、余り役に立ちませんよ。残念ながら・・・。

イエス・キリストは十字架で死を味わい、葬られたと聖書に書いています。峻厳な死を味わったイエス・キリスト。経験するかしないかは雲泥の差。イエス・キリストは甦られて今も生きている。導き、支えている。人知を遥かに超えた御心をもって、神は私たち一人ひとりに「命の息吹」を吹き込んでくださる。それが「永遠の命を信ず」ということでは?。神は、心身の「叫び」までも静かに聴いておられる。「しんどい!」「辛い!」「悲しい!」「もう駄目かも?」という呻きもしっかりと受けとめ、「You are OK!」と断言してくださる。有難いなぁ!。


また、来週の「牧師のひとり言(呟き?)」をご期待ください!


We look forward to seeing you next week! 

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