2012年7月17日火曜日

牧師のひとり言 NO8


                                            初老牧師:友川 栄
STAND BY ME!

  どの教会にも十字架があります。礼拝堂の屋根に十字架を掲げている教会や礼拝堂の正面に十字架が刻み込まれている教会もあります。世々の教会は十字架に磔にされたイエス・キリストを救い主として信じている人々が集う共同体です。十字架にこそ「神の愛」が込められていることを信じている。十字架は犯罪人を裁く極刑です。もっとも残酷な処刑です。

しかしクリスチャンは、この十字架に見返りを求めない「神の愛」を信じています。如何に罪深い「弱い人間」であるかを十字架に重ねて見る。ペトロを筆頭とする弟子たちは、弱さを持っていました。ペトロは正義感が強いものの感情的で短絡的な人物です。最後の土壇場で、予告通り嘘をついてしまう。イエスを裏切る。嘘はユダヤ人にとって犯罪に近い。  

トマスはよく言えば「石橋を叩いて渡る」慎重さを持ち合わせている。目で見て、手で触れないと信じないという科学的な視点を持つ人物です。しかし人生はどんなに科学的視点や客観的な考え方をもってしても避けられない悲劇が襲う。昨年の巨大津波などその例です。どんなに優れていても人間には限界がある。限界を弁えていないと、人間賛美になる。

そのような弱さを持った弟子たちをイエス・キリストは敢えて「神の福音」を説く使徒と選ぶのです。この世の価値観と逆行していますよね。大きな失態をした人を選ぶ人は少ないのではないしょうか。頭脳明晰で、物事をしっかり弁えた人を採用するもの。でも万事「完璧」を通そうとすると、何処かで歪が出てくるのではありません。自分の思いが通らずつい人を罵倒したり、理由もないのに怒りまくったりするのでは。その後、自責の念で苛む・・・。

 毎朝「梅ちゃん先生」を観るのが楽しみです。梅ちゃん先生は小さな坂田医院という開業医を手伝う。坂田先生から「医者は人を治してやるなどというのは、驕りだなぁ。医者はただそこにいるだけでいい」という趣旨の忠告を受け感激をする。「梅ちゃん先生」は開業医をしたいと考えるように・・・。今後、どのように展開するのか楽しみですね。(テレビでは既に開業し、ドタバタしていますが)私は「医者はただそこにいるだけ」という言葉に思わず「ガッテン」しましたね。

 実は「愛」というのも「ただそこにいるだけ」ということではないでしょうか。これが簡単なようで難しい。子育て真っ最中や、自分の親や妻や夫を介護している方はその辛さが分かるのでは。他人なら多少余裕をもって対応できるのが、自分の子どもや親になると全く違う、どうしてでしょうか。しかし、このような修羅場を潜って初めて妻や夫や子どもの「愛情」というものが分かってくるのですね。「ぷん、ぷん」「かり、かり」しながら、実はそれを通して自分自身が磨かれ、自分が支えられていることを知る。

 「教会」も同じです。聖書(エペソ書2章11節以下)では、一人ひとり皆「神の家族」と書いています。土台と要石はキリストです。しかもキリストが建物全体をしっかり支え、主の神殿として建て上げていくと記す。そうです。キリストの愛に生きる。イエス・キリストの愛に学び続けるのです。神に支えられ「神の家族」の一員として、イエス・キリストの十字架の愛に生きていきましょう。雄雄しく。神は「Stand by me!」と語り続けているのですから。
 
毎週更新していますので、お楽しみに!                                        

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