2012年8月6日月曜日

牧師のひとり言 NO11


初老牧師:友川栄

  「よくやったメダル?!」
  
   神は必要なものを必ず与えてくださいます。食糧、お金、衣類などなど。与える時をご存知なのは神だけです、残念ですが。ここが味噌。自分の欲しい時に、与えられるとは限りません。私たちは直ぐに願うものを手にしたいと思いますが、神は御旨に叶わないことは
与えてくれません。御心に適ったときに、神は必要なものを与えてくださる。それを「待つ」ことと「耐える」ことが求められる。神に祈りながら待つ。希望を持って待つ。求めているものが直ぐに与えられると、人間は安直な道を進もうとする。

人間は生来怠惰な者ですから。私は呆れるほど「怠け者」。そのために「隠れて精進」を・・・。休養(息抜き?)をしながらですが。更なる飛躍のためには「力を蓄える」必要があるもの。緊張感、悲壮感は周りに感染しますから。ロンドンオリンピックが半ばを過ぎました。4年に一度の祭典です。各国からのトップ・アスリートたちは、この大舞台に標準を合わせて練習を続けてきたことでしょう。メダルを取れたら本当に嬉しい。辛い練習も一瞬にして歓喜に変わる時。応援をする私たちも嬉しい・・・。練習が厳しいほど、報われたときの喜びは大きいですよね。

私たちの人生も一人ひとり「小さなオリンピック」に出場しているようなものではないでしょうか。神が与えてくださる人生と言うトラックを走り?歩き続ける?ことでは?。パウロはよく「信仰生活」を競技場で走る選手に譬えています。神から賞をいただけることを目指して走ると書いています。パウロの伝道の働きは過酷を極めていたようですが、だからこそ神から「お褒めの言葉」をいただけるのを最上の光栄と考えていたと思う。

 人生では、辛いこと、悲しいこと、思い煩いを多々味わう。でも、イエス・キリストも同じ道を歩まれたのです。神が私たちと同じ肉体を取られた。それがイエス・キリスト。だから、悩みや苦悩を肌で感じてくださる。「安全地帯」に身を置いて「頑張れ!」と慰めの言葉をかけているのではありません。イエス・キリストは命を捨てて私たち「一人ひとり」に愛を教えてくださいました。愛するとは「犠牲を伴う」ものではないでしょうか。愛情に勝る心身の糧はない。

 それに「命のパン」を与えてくださる。単なる体を支える「食べ物」ではありません。生きる意味と喜びを教えてくださる「命のパン」です。「愛のパン」と言い換えてもいいでしょう。経済的に豊かになることがイコール「幸福」と考えていないでしょうか。それは違うと思う。最低限のお金は必要ですが、余分なお金は貪欲を生みます。お金に縛られ魂まで売り渡してしまうことも。怖いですよ。信仰とは、無から有を作り出す神を信じることなのですね。ゼロからの出発ではなく、マイナスからでも、新しい道を拓いてくださる。人生に「メダルの色」は関係ない。神や人々から「有難う!」「よくやった!」「ご苦労さま!」という労いの言葉をいただけたら、それでいい。
 

また、お逢いしましたね。次週も、またまた「また逢う日まで」を楽しみにしています。

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