2012年11月6日火曜日

牧師のひとり言 NO23

        初老牧師:友川栄

「おろ、おろしながらでも?・・・驕ることなく」

  「ナルニア国物語」を書いたC・S・ルイスという作家がいます。無神論者でしたが、あることを契機にキリスト教に入信しました。「ナルニア国物語」は
キリスト教の本質を子どもたちにも分かるように書いた児童書で「神の愛」を深く捉えている良書ですよ。ルイスは「キリストの精髄」という信仰書を書いていますが、その中で最大の罪は「高慢」と喝破しています。嘘をつくことや犯罪などは「蚤に刺されるようなもの」と書いています。ピンポイントで本質を射抜いていますね。

キリスト教が旧約聖書(ユダヤ教の聖典)を聖書に入れたことは後世の財産と思います。旧約聖書は人間の赤裸々な罪や咎や過ちを隠すことなく書いていますから。殺人、嫉妬、姦淫、盗み、戦争などなど。私たちは警察沙汰になる犯罪をしませんが、「嫌な人」「つき合いにくい人」「金輪際話しをしたくない人」が一人や二人はいるのではないでしょうか。そのような人との口論や対立を通して自分の弱さや強みに気づいたり、逆に険悪な仲になることも・・・。人間の心は複雑ですなぁ。

イエスはそのことを深く知っていました。「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」(マタイ5:28)とイエスは書いていますが、人間の邪念と欲望をお見通しなのですね。行動に移さないか否かの違いだけ・・・。私たちは狡猾で不埒な動物なのですね。私こそ、その張本人?。牧師は弱さや図に乗りやすい一人の人間であることを知っていないと「危ない」と開き直っている昨今。諦めているのが当たっていますかね?。

イエス・キリストは律法学者やファリサイ派(マタイ23:25~36)の偽善を痛烈に批判していますが、彼らを槍玉にあげているだけではありません。クリスチャンも同じ罪に陥る可能性があることを示唆している。私たちは自分の欠点を見逃し、他人の罪や誤りはよく見える。自分に厳しい人は、相手にも厳しい。神や他者を信用せず、自力を信じて驕り高ぶる。神を畏れ、驕らず、嫉妬せず、出来ないことは他者に任せ、世のしがらみを手放し、穏やかな心で静かに生きていきたいですね!「おろ、おろ」しながらでも!。


アクセス有難うございました。次週も「また遭う日まで、また遭う日まで♪」を楽しみにしていますので・・・。