2012年11月2日金曜日

牧師のひとり言 NO22


                     初老牧師:友川栄

「喜び、悩み、支え合いながら・・・」

 宮城北地区の教会では毎年交換講壇を行っています。登米教会の礼拝(10月28日)では
佐藤真史先生(いずみ愛泉教会担任教師)が説教をしてくださいました。心から感謝したい。宮城北地区は13教会(その他、気仙沼集会所)があるが、それぞれの先生は託された教会で毎週礼拝を守っておられる。多くの教会は同じ教会員を対象に礼拝を守っていることでしょう。

聖書に基づいて毎週、毎週、説教することはそう容易ではありません。同じ聖句でも、精読すればするほど説教の内容が違ってくるもの。説教は「神の言葉」を解き明かすことですから、ほぼ不可能に近い。牧師は畏れながら語る。砕かれ、励まされながら語り続ける。説教に上手い下手はありません。最後は神が判断してくださるのですから。しかし、会衆の願い(励まされたい、癒されたい・・・)を適えようとの誘惑があることは否めませんね。牧師も人間ですから・・・。

でも牧師は神の言葉を宣べる「預言者」であることを忘れてはいけませんよ。会衆の願いに心を奪われると小手先に走ってしまう。目先の悩みや病が癒されても、人生には辛いこと悲しいことは続きますよね・・・。人間の思い、祈り、叫び(無視はできませんが)に真実に応えてくれるのは神だけですから。神の働きを妨害しかねない。神が聴いていると信じて語るしかない。

会津地区でも交換講壇がありました。鍛えられましたね。教会が異なると説教が難しい。聴いている人々がどう生きていて、何に悩み、苦しんでいるかが分からない。それでも地区にあるそれぞれの先生が違う教会で説教することで、一つひとつの教会の連帯が強まる。教会には違う伝統があることを知る。異なる課題があることを分かち合う。牧師・信徒も神の挑戦を受ける。教会は「体は一つ・・信仰は一つ」(新約聖書:エフェソ4章4、5節)ということを・・・。

 世間では同じ職務を長く務めると「ベテラン」と言われますよね。牧師(他の専門職も同じなのかも知れませんね)には「ベテラン」「新米」の区別はありません。牧師に「慣れ」は禁物ですから。地域に「溶け込む」ことは重要ですが、「慣れ」に流されてはお仕舞いですぞ!。いつも「初めから始める」(K・.バルト)ことを肝に銘じて進みましょう。喜び、悩み、支え合いながら?!。



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